ロマンチスト♂とリアリスト♀

四年間の英国↔日本の国際遠距離恋愛の末に結婚、イギリスウェールズへ移住 !!凸凹夫婦のウェールズ生活 :)


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大事な話をしよう

9年前の今日誰もが想像なんてしてもなかった大震災。
日本のほぼ全土が揺れを感じたと言う。
あの日を忘れてはいけないと毎年思ってます。
私や私の周りも幸い大事に至ることもなく皆無事でしたが、あの非日常になった当時の記憶は鮮明に思い出せます。
もう9年も前のことだと言うことにとても驚きました。


今日は少し真面目に今日この日に思ったことを長くなってしまいますが、書きたいと思います。


当時は病院勤務で震災被災者支援も行っていました。
またターミナルケアに興味を持ち始めて、セミナー等で勉強を始めていた時でした。


震災後のあるセミナーで興味深いお話がありました。


それは日本の文化的背景から日本人の気質には"死"というものがタブーであまりオープンに話したがらないと言うものがありました。


その例えの中で、
2001年911テロ事件時に飛行機の中から墜落前に搭乗者達が愛する人たちに連絡を取った時に、ほとんどの人たちは彼らの最期に愛していると伝えることができていたとことです。
先生はもしこれが日本人だった場合、
その最期の連絡の多くの返答は
頑張って生き抜いて!
死ぬなんて言わないで!
と言う日本人独特の鼓舞する言葉が多くなるのではないかと話されてました。
最期を最期だと想いたくない悲痛な想いが日本人らしさだそうです。でもこのきちんとさよならができない場合、残された方に後悔を生んでしまうことも多いとのことでした。

これは状況違うけれども震災で急にこの世を去ってしまったたくさんの方々のご家族、ご友人も同じことではないかとのことでした。



私が今まで担当してきたターミナルの患者さんご家族にも同じように死に対面した時に受け入れられず、否定ではないのですが、励ますような鼓舞する似たような、死を受け入れないような言葉をたくさん見てきました。


高齢者を自宅で看取ることが多かった昔に比べ、今は病院で最期を迎える人が多くなり、また日本特有のお葬式によりどことなく儀式的で日常からかけ離れたものになっていることもあることから現在の日本では死が全く身近なものではなくなっていると私は感じています。


この世に生を受けたと同時に、私たちは死に行くものでもあります。
生きていて死んでいく。死というものは誰にでも起こるものであり、日常の中にあるものだと今は思えています。


私が初めて死を認知したのは高校生の時。
地学専攻の授業で、星の一生って言うビデオを見た時でした。
何光年かけて宇宙の屑が渦を巻いて星になっていき、また何光年かけて星が屑になっていき消えてまたその屑が他の星になっていくというものでした。
このビデオを見たときにこの世に永遠なんてないんだなーと不思議に感じたのを未だに覚えています。


私はたまたまこんな風に死を認知して、たまたま外科病棟で働き、癌ケアに携わりターミナルケアに興味を持ちましたが、医療福祉関係者ではない方にとっては死と言う存在が非日常的で未知なものであり、未知なものって怖いんですよね。


私の祖父が今年頭に他界しました。
私が帰省中にも数回意識を無くすこともある状況でした。
しかし私の父含め親族は祖母を病院に連れて行くと祖父が自分は死が近いと感じるのではないかと思い、祖母を状態悪化後面会に連れていくことがなかったことに私は驚きました。親族を説得し、祖母を面会に連れて行きました。
それから親族も祖母と祖父の死後のことを含めきちんと話し合いができたようで、先日無事に49日を終えました。
そして私が滞在中両親とも今後もしものことがあった時のことも兄弟含め話すことができました。


私と相方もちょくちょく何かあったときの話をします。
もし私に何かあっても、相方に迷惑はかけたくないし、もし先立たないとならなくなっても、相方にはきちんとその後の人生を無駄にしないで生きてほしいから。


3月11日の今日、
今ある全てに感謝を感じました。
そして大事な人のことを大切にする。
そのための責任をこれからも果たしていきたいと強く感じました。

大事な人には大切にしたいその想いを伝えることも一つの責任だと思います。
きちんと話す。聞く。
丁寧に会話をできるように、
これからも毎日精進していきたいと思いますp(^^)q

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